読んだ漫画「蓮ちゃんパパ」と金銭感覚
マンガ図書館Zで「蓮ちゃんパパ」が読めるとTwitterで話題になっていたので読みました。
父親がマイルドな蓮ちゃんパパなので楽しく読めました。
感想よりも私の独身時代の金銭感覚について描きます。
普通の公務員がパチンコやギャンブルにのめり込んでキャッシングやカードローンを繰り返すのは現代でもよくある話だと思います。
私の父親がそうでした。
金銭感覚は親から子へ受け継がれてしまう部分もあるので怖いですね。
私も結婚する前までは積立貯金したら残りのお金は生活費等を除いて浪費していたので今でも後悔する事があります。
所謂死に金を使いまくってました。
アニメグッズに服や化粧品…使えば良いのですが、使いもせずその辺に置いてるだけだったので部屋は片付いてるようでゴミ屋敷寸前でした。
コンビニでお金を下ろして手数料を取られても全然気にしない無頓着ぶり。
仕事で足りないものを買う際の会計は現金のみの決まりだったので手持ちのお金が無くなれば給与口座から余分に下ろして、仕事の物品を買って余ったお金でまたよく分からないものを買っていました。
仕事は朝5時からスタートだったので通勤時間と休憩時間を考慮して2時間ほど前に家を出ていたので、その時に飲むコーヒーやパンやお菓子を毎日コンビニで買っていました。
だいたい700円くらいです。
いくら田舎の割にそれなりにお給料貰えてるといえども、これでは積立貯金しても毎日給料日が待ち遠しいというお金に不自由な生活をしていました。
毎日コーヒーを飲むなら沸かして持って行くとか安い飲み物をまとめ買いするとか考えたのですが「めんどくさいな…」とやっていませんでした。
ようやく27歳で水筒を買ってコーヒーを入れて持って行くようにはなりましたが、これを大学生からやっている子もいるんですよね。
私も調理員時代と22歳の時はお給料が少なかったのでペットボトルのお茶を凍らせて持って行っていましたが、やはりめんどくさくなってやめました。
コンビニや自販機やコーヒーショップでコーヒー買うお金をラテマネーと呼ぶそうですね。
お店でゆっくりくつろぎながら飲むコーヒーの1杯500円は生き金だと思いますが、何となく入ってなんとなく買って飲むを毎日続けてたらバカにならなだろうなと思います。
でも美味しいですよね、外で買ったコーヒーや珍しい飲み物って。
次は実家の金銭感覚について書こうと思います。
お金が無いと子供に当たる割に毎日コンビニで買い物してお皿とかタオル貰っていることや日用品のストック置き場に何が置いてあるか全く分からない事など。
学校と資格試験
中学を卒業してはや15年になります。
中学3年間はほとんど不登校だったので英語も数学もかなり苦手です。必要な時に検索や辞書を引いたり本を買ったり借りたりで、頭の中に図書があればなあと思います。
高校も通信制高校だったので学力は小学生よりも低いと感じてます。本当に。
管理栄養士の国家試験も短大を卒業して4年後に受けましたが「漢字が多くて分からない!漢字が読めない!」と騒いでました。
うるさいよ😒
なんとか合格しましたが、おそらく「分からない知らない読めない」を恥ずかしがらずに認めたから受かったのではと思います。
サルコペニアなんて短大の時は習っていませんでしたしね。
私が国家試験を受けた時は栄養士養成過程卒は3年の実務経験で受験資格を得られましたが、現在は4年の実務経験が必要に変わりましたね。
年度からでしょうか。
短大を卒業した後半年以上1年未満を調理員として働いていたので、新卒で栄養士で就職した人より1年遅れて受験しました。
栄養士仲間に「今年受けないの?」と聞かれ「まだ受験資格無いんよ(笑)」と何回もやり取りしました。
国試後は問題用紙の解答番号に印を付けたのを各社の解答速報と照らし合せる作業を「やだーやりたくないーやだー助けてーお願いー」と騒ぎながらしました。
初めはユーキャン、次に医歯薬出版で照合しました。
が、40問程解答番号に印を付けておらず110点は取れているのに残りが分からない…冷や汗をかきまくって思わずテレビを見ていた父親に「どうしようどうしようどう思う??」と喚き散らしました。
父親は「まあ40問もあればあと10点は答え合ってるんじゃないの」と慰めてくれました。
3月の下旬に受けて合格発表が5月の頭なのでその1ヶ月半は生きた心地がしませんでした。
いっそ合格点に届いてなかったら「はいむーしむーしお疲れ様でした~~~」と切り替えできたのですが、残り10点なので「頼む頼むもう勉強したくないから頼む」と毎日お祈りしてました。祈っても変わらないぞ😡
そういや3年前に落ちた簿記3級の試験はあと9点で合格だったのに足りませんでした。精算表で点が取れそうだったのにしくじりました。
この5月で合格して5年目になります。うー時間の流れは怖いですね。5年前は5年前で夢を叶えられたので楽しかったですし、今は家族と自粛生活の中でも生活を楽しめてると思います。
調理器具
仕事柄多種多様な調理器具を見かけたり使ったりする機会があります。
武具の様な木ベラやシンクの中いっぱいの大きなまな板に赤ちゃんがまるまる入りそうなボールやザル。
仕事中はこれがちょうど良いサイズかなと選んだり「もう少し新しかったらなあ」と嘆くだけで、意識してそこにある器具を見つめたことはありませんでした。
どちらかと言うと、ホームセンターや100円ショップの便利な調理器具を見て「これ使えそう!」と思い買って行く事が多かったです。
ミニホイッパーや計量カップ、ステンレスの小さなバットなどなど。
役に立ったものもありますが、結局役に立たずお蔵入りさせたものもあります。
他の社員さんがその器具の魅力を発見して使ってくれることを信じて眠らせてます。すっごい逃げ腰ですね。
器具も種類と数があれば良いかと言えばそうではなく適量が大事だなあといつも実感しています。
埋もれるほど菜箸があれば邪魔だし、管理しきれないほどボールやザルを重ねておけばカビを生やしたりしては不衛生になるし。
うっ。仕事のこと思い出したら気分が…。
また別途書きますが、持病の双極性障害が原因で昨年から仕事に行っていないので思い出すと「あそこには帰りたくない!」となります。
おい、しっかりせえや30歳😡
自宅では、4月にダイソーのサクラのプラスチックスプーン・フォークを買って使ってましたがそろそろ季節に合わなくなり、見ていると余計なものに感じて割り箸等の消耗品カゴへ袋に入れて片付けました。
アイスを食べる時やカフェ風の飲み物を作った時にはちょうど良いんですが。
読んだ本「コンビニ人間」
2年前に母から借りたコンビニ人間をようやく読みました。
実家の近所にコンビニが出来たので、買い物ついでに文庫本を購入して両親で読んでるそうです。
感想はコンビニの音や人の動きが細かく描かれていて、人の仕草などを吸収して自分のものにして社会の歯車としてコンビニで働く恵子に親近感と彼女の力強さに感動しました。
久々に気持ちの良い読了でした。
10代の頃は三島由紀夫やそれより前の純文学や90年代の恋愛小説(山本文緒、小池真理子、姫野カオルコなど)に桐野夏生などを読んでいましたが、社会人になると漫画を読む時間もなかなか取れず小説とは離れて生活していたので楽しかったです。
小説は日常の動作を文字にして話が進むので何気ない毎日の見方が少しだけ変わるのが好きで。
コンビニ人間の冒頭でコンビニの音やガラス窓の外の人達の描写が好きなのは、桐野夏生先生の「グロテスク」の和恵の日記が好きだったからではと思いました。
和恵の日記は桐野先生が実際の被害者(東電OL殺人事件)の情報を自然に至る所に散りばめていて、事件のルポタージュを読んでいるような気分になっていました。
東電OL殺人事件のルポにおでんの事などが書いてあって、ああそう言えば和恵の日記にもそんな事が…と、情報を物語に変えられる力に圧倒されました。
まだ1冊か借りたままの本があるので近いうちに読んで返しにいこうと思います。
やっぱり読書は楽しいですね。
子供の泣き方観察
助産師のふぃっしゅさんのブログを読んでから子供の泣き方などを観察するようになりました。
生後2ヶ月半頃になると新生児の時とは比べ物にならない程豊かな表情と歌ってるような声を出していて面白かったです。
泣き方で印象に残っているのが、あやしてもらってるけどまた泣いてしまうが出現した時のことです。
ものの10分程トイレ掃除の為にハイローチェアに乗せて、私が見える位置に置いて声掛けをしながら掃除をしました。
まあ泣く事。そりゃそうか。
掃除後の手の二度洗いも済ませてスッキリしたところでようやく抱っこしてあやしました。
ずっと泣いていたので放心状態で周りを見渡していました。そしてまた「ああ~~~ん」と手で私の肩パシッと叩いて泣きだしました。
何となく、腹減ったや不快や興奮して夜間むずむずして泣くとも違う「母ちゃんのばかやろ~~~」と言いたげな泣き方に感じました。
すまんのう。
付き添い家政婦さん
2006年の10月頃、弟が病気になり入院していました。県立病院に入院していたので美容院を経営している母親もお店を長期間閉めるわけにもいかず、高校生の私が日中は付き添いをしていました。
通信制高校に通っていたので時間はまあまあありました。バイトもしていなかったので。
6人部屋の窓際のベッドに弟は居ましたが、その向かい側のベッドに80代位の男性が居ました。付き添いの家政婦さんが身の回りの世話をしている様で、1度ご家族の方たちがお見舞いに来た時に男性の状態を説明していました。
この家政婦さんがなかなか面白い方で、私も栄養士の学校卒業したら家政婦さんになろうかなと考えました。甘いも辛いも分からない小僧なので結局なりませんでしたが、将来もしかしたらなるかもしれませんね。
6階の病室の窓から見えるたちを指差しで「おーい、待ってーって言いよるよ。あの端の鳥さんが」と男性に語りかけてて表情が乏しい男性もすこし微笑んでいるようでした。
まだ病院の立て替え始めるずっと前でとても陰気(失礼だゾ)な病棟で、4人で秋の空を見たのはいい思い出です。
当時60代位だった家政婦さんは今何されてるのかなとふと思いました。
純喫茶への憧れと現実
子供の頃(90年代前半)は父の喫茶店に連れていかれパフェやバタートーストを食べされてもらいました。
この経験が今の喫茶店大好きさんになるきっかけだと思います。
その喫茶店は居酒屋風に改装してしまい昔の面影が無いので、いつの間にか私は理想の喫茶店を探す旅に出ようと19歳くらいから思い始めました。
ただ問題なのがその時はコーヒーが飲めなかったのです。
紅茶も自分で砂糖やミルクで味を整えるのが苦手で飲めませんでした。
喫茶店に行けてもクリームソーダやオレンジジュースしか飲めない。それにそんなお小遣いないやと。
結局喫茶店巡りを始めようと腰をあげたのは22歳の冬でした。
冬の喫茶店でクリームソーダを注文してしまいました。寒くて寒くて凍えながら飲みました。
おまけにトイレから漂ってくる強烈な芳香剤の香り。
純喫茶…純喫茶…あなたはトイレの芳香剤の香りなの…。(違う)
はなたれ小僧にはまだまだ早かったのか、現実に撃沈して喫茶店巡りは1件で中断しました。
コーヒーが飲めてたら続けられたのにねとあの頃の自分にどんまいです。
次の年の夏に洋菓子店の喫茶室でフルーツパフェを食べたり、そのまた次の年に長居をしていた喫茶店でキャラメルトーストを食べました。
徐々に喫茶店に行く回数が増えるのは27歳です。
27歳になる年からコーヒーを飲む訓練を始めたのです。それはまた別に書きます。
テイクアウトのコーヒーショップでコーヒーの美味しい飲み方を聞きながら15年振りに飲んだコーヒー、宇和島の友達に会いに行って寄った喫茶店で飲んだコーヒー…。
20代後半にしてようやく憧れの喫茶店巡りが起動に乗り始めて現在に至ります。
まだまだ行ったことがない所が沢山あるので落ち着いたら行きたいですね。