喫茶店で長居

穏やかな表題とは逆の内容です。

暴力や自傷について書いてあるのでご注意ください。

 

 

 

子供の頃から母親の酒乱により床が水浸しになっていたりあることない事言われる生活をしていました。

 

お酒さえ飲まなければ専門職(美容師)として責任感と向上心のある良い母親なのですが。

 

中高生の頃はお風呂に入ってたら急に怒鳴り声が食卓から聞こえてきたり「お前友達から金を貸せと言われてるんだろう!そうなんやろ!言うてみろ!嘘をつくな!!!」と勝手に人の悩みを作って解決してやる、親としての威厳を見せてやると責め立てられていました。

 

短大を卒業してからは毎日鞄で背中を叩かれたり、ビンタや寝ている時に急に殴られて起こされたり、タンス貯金を奪われたりしました。

顔を真っ赤に腫らして出勤して「何をしてんだろうなー」と思っていました。

 

今でもその頃の事を思い出すとしんどくなります。

 

社会人になってからはお金を貯めて一人暮らしするぞ!と意気込んで不動産屋に行って内見してきたと言うと「家にお金を入れて欲しいからやめて」と説得されて実家暮しを28歳まで続けました。ばかー。

その代わり今までの様に暴力はもうふるわないでと念押しをしました。それ以来ほとんど暴力をふるってくることは無くなりました(たまに首を絞められたりしましたが)。

 

その後は父親の借金が発覚し、何十万円かは肩代わりして家にもお金を入れるために実家暮しを続けました。子供部屋おばさんまっしぐら!

 

27歳の時に肩代わりしてた借金はちまちま返すのがめんどくさくなって一括で払いました。

 

28歳になる年の2月に一人暮らしの許可が出たので5月を目処に引越し予定を立てましたが、結局「まだやめて欲しい…」とズルズル言われて5月に「7月から出ていくからな」とピシャリと言い聞かせて無事に7月に一人暮らしを始められました。

 

ただこの間の4月は母親の顔を見るのも苦痛で、喫茶店で長居をして母親が寝静まる時間に帰宅していました。

 

不動産屋と契約をする頃に「不動産屋の人はお前を騙そうと企んでいる。まあそんなものよ」

とまたお酒を飲んであることない事を言ってきて「お前に一人暮らしなんてできるはずがない!!!」と怒鳴ってきたので、私も大声で叫んでハサミで自分の手首を切りまくりました。

 

さすがに慌てて「すまんかった…」と言っては来ましたが、中学からあることない事言ってくるこの人の暴走を止めるために、私は何回手首を切ってきたんだろうと情けなくなりました。

 

現在は結婚して籍を抜けられたので晴れ晴れとした気持ちです。

私が結婚したかった1番の理由は別の家に入って実家との関係を絶つことでした。

 

関係を絶つと言っても実家との行き来はずっとしています。精神的に「もう他人だから」と、いつでも母親の前から消えてしまえる気楽さを身にまとったのだと思います。

 

 

前置きが長くなりましたが、そんな母親と顔を合わせるのも苦痛な時期を支えてくれたのが夜21時まで営業している喫茶店でした。

 

毎日仕事終わりに寄ってはその日の気分でコーヒーやカフェラテ、抹茶オーレにレモンスカッシュ、たまにいちごパフェにパンケーキ、ケーキなどを楽しんでいました。

レンタルコミックを沢山借りて読んだり資格の勉強をしたり。

家に気軽に帰れない辛さもありましたが、同時に自分の居場所を見つけたようで楽しかったです。

 

マキヒロチ先生の「いつかティファニーで朝食を」に出会ったのもこの時です。

単なるご飯漫画でもなく30代を目前に迎えた主人公達が、仕事や恋愛関係に結婚これからの人生を悩みながらも前に進もうとしている日常を描いていて大好きになりました。

 

丁寧な取材としっかり描き込まれているのにくどくない背景に美味しそうな朝ごはん。

仕事も忙しい時期だったので主人公のアパレル勤務のマリちゃんの気持ちが分かるなあウンウンと思っていました。

イベントが終わったら次のイベントが待っている。その間にしてみたい事を計画。ルーチンワークもね。

 

私は人の命に関わる仕事をしているので、気が張り過ぎてしまい自滅しそうになる事があったので「嫌になったら尻尾巻いて逃げるからな」と、いつでも逃げてやるから仕事を頑張ろうとしていました。

 

実際はここで逃げ出せられるか!いや逃げ出したい!家でお菓子食いたい!あーやっぱ無理!食い止めないとここで何とか食い止めないと!!!と目をギラギラさせて朝から夜まで仕事してた方が多いんでセーフ。

 

「いつかティファニーで朝食を」は安易な独身批判は一切なく「独身でも結婚してても色々あるよね」と言ってくれてるようで読んでてホッとしました。

 

19年の2月の東京旅行の際に、芝公園のパン屋さん(ル・パン・コンティディアン芝公園店)にも実際に行きました。

オムレツとブレックファーストバスケットを沢山食べて幸せでした。ポットいりコーヒーも美味しかったです。

 

ひとつの漫画に出会うと今までとは違った世界が見えると今でも思います。

 

茶店での時間は苦痛から逃れる時間でもあり、その後の人生に大きく影響をあたえてくれました。

 

実家にいると気持ちが落ち着かず映画やアニメを見たくてもめんどくさいと何もやる気が怒らず布団の中にいました。

 

けれど喫茶店に行けば美味しいコーヒーをお供にリラックスできる。こんな簡単なことでも出来ないと沈みこんでた私を救ってくれたなあと。

 

ああなんだか思った以上に重くなりましたね。

チーズナンより重いぞ。

 

次は喫茶店で飲んだものや食べたものを記します。

汽車のある日常

汽車は毎日のように見ています。

が、あまりにも早く通過してしまうのでゆっくり見る事がありません。

恐らく間近で見るのであっという間なのでしょうね。

 

父の実家では緩やかに走る汽車を見て「きしゃだきしゃだ」とはしゃいでいました。

緩やかに走っていたのは、見える位置から数百メートル前に駅があったので走り始めだったのでしょう。

 

トコトコと走る音が懐かしいです。

 

今毎日聞く音はガタガタガタガタ!!!!!なので(笑)

 

乗って居る時の音は更に迫力があります。

 

プシュー、ギィィ…ガタンゴトンガタンゴトン…ガターンゴトーンガターンゴトーンガターンゴトーンピコピコピコピコ…プァーン

 

警笛はトンネルを通過する際に聞きますが、たまに長く走ってると鳴らしているようです。

 

父が子供の頃の70年代前半あたりは汽車が出発の旅に警笛を鳴らしてたので怖くてたまらなかったそうです。父はおじみそなのです。

 

父が10歳の頃(70年代前半)までは駅に駅長さんたちがいたそうです。今も残る駅にはカーテンが閉まったままの窓口が残ってあります。

駅の待合室から出たところにリヤカー置き場と書いてあるスペースもありました。

当然私が高校生の2000代後半頃はリヤカーは置いてありませんでした。

 

木造の駅舎にボットン便所、丸ポスト、近くの酒屋が切符を販売(買わなくても乗車してから車掌さんから買ったり降車後支払いもできます)。

 

車に乗るようになってから汽車に乗る機会ががくんと減りました。

県南に行く際は車で行くのは怖いので汽車に乗ります。

あと駐車場の無い試験場に行く時も汽車で主要駅に行ってますねバスを乗り継いで会場に行きます。

車ばかりの生活だと汽車とバスに乗るのは年に指で数える位で、その日は割と特別な日だなあと思います。

友達の赤ちゃんを見に行った日、星野源の「肌」を聞きながら秘書検定の試験を受けに行った日、落ちてしまった簿記の試験を受けに行った日などなど。

 

徳島駅までは20駅以上飛ばすので汽車に乗り込むと、もうこの駅には帰ってこれないのではと寂しさを感じていました。

異世界への列車に乗ってる感覚に。

 

今乗ってもきっとそんな感じになるのでしょう。

 

 

無感動無関心

無感動無関心きりがないね

 

最近ハマった少女革命ウテナのオープニングの歌詞です。

 

30歳を目前にすると無感動無関心も仕方ない事だと受け止めることが増えました。

 

例えば戦争(第二次世界大戦)について。

全く関心も何も無いというか、悲惨な物語だけを聞かされたり見せられる退屈なものという認識で時代背景や当時の暮らしについては興味がありました。中学や高校生の頃は悲惨さに対して、悲惨であることは理解できる。でもそれ以上は何も感じない自分がおかしいのかと戦争について調べたりしてはいました。

 

「悲惨悲惨ひさんヒサン可哀想可哀想かわいそう二度と二度と二度と繰り返しては繰り返してはては…」の言葉ばかり目に入って知りたい情報が掴めなかったので、この感情に名前を付けるのも得体の知れない自分の感覚に探りを入れるのもやめました。

 

多分いまいち「ピンと来ない」んだと思います。

 

戦後45年後に産まれました。

両親も戦争が悲惨だとか言ってるのを見たことがありません。恐らく両親もピンと来ないので何も言わないんだと思います。

特に父親はピンと来ない事に恥じることも無く自分は自分だと生きてます(あまりにも奔放過ぎて家族が大変な目に合っているのですが)。

私はそんな父を憎みたくても憎めないのが、このピンと来ないけど別にいいじゃんと悩んでいない事です。うじうじしてたりやたら反省してたらきっと余計に腹が立っていたと思います。

借金ばっかして反省してよと思う時もありますが。

 

おっと話が逸れました。

いわゆる第二次世界大戦については感情論抜きで時代背景を調べたりはします。感情論が入ってくるとシャットアウトします。感情はいらないと。それは他の誰かが見れば良い。私はそんなこと知りたくもないと。

 

自分は冷たいのかと中高生の頃悩んだものですが、冷たくたって良いじゃないか。悲惨であることは理解した上で突き放してるだけなんだから。

 

 

何となく岡崎京子先生の「チワワちゃん」の殺されたチワワちゃんの友達のような知り合いの様な関係だった主人公のミキちゃんがチワワちゃんのお葬式をテレビ越しに見て「(チワワちゃんのお父さんとお母さんだ はじめましてこんにちは)」と思いながら見てるような感じ。

 

ミキちゃん達はチワワちゃんがバラバラにされて捨てられた東京湾に知り合い達と一緒に見に行く。

 

私は「ここは空襲で焼け野原だったんだよなあ」とそごうや新町川藍場浜公園を見つめながら思う。

 

木造の駅舎を見つめながら「ここから戦争に行って帰ってこなくなった人達さて何人」と思う。

 

また30年経てば見方も変わると思うので、それが楽しみです。

 

 

チャイニーズレストランシンドローム

はてなmixiの日記のように書きやすいですね。Twitterに移行してから何個かブログを持ちましたが複雑で続けられなかったのでこれはありがたいです。

 

学生の頃に食品衛生学の講義で「中華料理店症候群(チャイニーズレストランシンドローム)」という症候群を習いました。

 

使用していた教科書は

講談社サイエンティフィク

食品衛生学 食べ物と健康 第3版」

です。

現在は重版されていないようです。

 

たまたま美味しんぼのハチミツの話を思い出して検索していたらまとめサイトに辿り着き、科学的論議がされている症候群であると書いてありました。

 

学生時代に正しいものであると習ったものが後に根拠の無いものであると知ったのはこれで2回目です。

1つ目は「乳頭混乱」です。うっ。

これに関して思うことはまたそのうち書きます。うっ。

 

 

Wikipediaの「中華料理店症候群」ページによると


1960年代に中華料理を食べた少数のアメリカ人が食後に炎症を覚え、眠気、顔面の紅潮、掻痒感、頭痛、体の痺れそして軽度の背中の無感覚などの症状が見られた。これらの症状の大部分は悪化することはなく、しばらくすると消失するというものである。この症状は間もなく「中華料理店症候群」という呼び名がつけられた。

一方「グルタミン酸ナトリウム症候群」という呼び名は、グルタミン酸ナトリウム(MSG)がアメリカの中華料理でよく使用されることに起源を持つ。MSGは広く使用される調味料で、あらゆる家庭料理や料理店での調理やレシピで広く利用されている。

 

 科学的論議では。

 

科学的検証の結果は中華料理店症候群は一つの原因によるというよりは、食事後に起こる様々な病的症状につけられた呼称であり、症状の原因は事例ごとに異なっていると考えられる

 

はえー。

で、教科書や教授から話を聞いた時は「先生も教科書にも書いてあるし、チャイニーズレストランシンドロームは根拠のある症候群である。テストに出たら書かないといけないから覚えとこ♪」と納得してました。

 

こういう話を聞くと「うま味調味料を口に入れたくない」となりそうですが、別の講義で昆布だしの美味しさの正体がグルタミン酸だと発見した過程を聞いて「美味しそうだな😋」と感じたので、うま味調味料を嫌いになることはありませんでした。

 

自宅でもアジシオをウィックのガラス容器に入れて使っています。

 

出汁も基本は味の素の昆布だしです。

現在は炊き込みごはん用にかった昆布が余ってるので昆布から出汁を取っています。

 

 

みんな使ってるから素敵に見える「WECKの容器」

3年ほど前からInstagramの暮らしのタグや本屋さんに置いてある暮らしの本を見ています。

 

もともと実家の部屋も車もゴミ屋敷寸前まで汚していたのでいい加減綺麗な部屋で過ごしたいと思うようになり、本を100冊売ったりしました。しかしそのあと面白い本を見つけてまたぶり返すように本を買いました。

お片付けの本とかひとり暮らしの本とか&プレミアムとかとか…。うっ頭が痛い。

 

Instagramの暮らしのタグでは必ずと言って良いほど見かけるのがドイツ製のガラス容器「WECK」です。

ドイツ製で100年ほどの歴史があるそうで、今年の2月くらいから100円ショップのセリアでも見かけるようになりました。

 

自宅ではアジシオをWECKの容器に入れ木の蓋をして置いています。少量の容器に入れると片手で蓋も開けられるし片手で定位置に戻せて便利です。

うっ。動線についても書きたいですね。

 

そんで表題の通り、WECKの容器が魅力的なのはInstagramでみんながこぞって投稿してるからなんだろうなあと感じてます。

 

綺麗な台所にWECKを置いてある投稿を見ると「ああ欲しい、粉コーヒー入れる用にも欲しい」と際限なく物欲が湧いてきます。わー怖い。

 

流行りには興味が無いと思い込んでましたが、以外とみんなが持ってるに流される性格なんだと書いてて気が付きました。

流行りってファッションだけではないですものね。

 

みんなが持ってるから素敵に見えると思うものについてもまた書きたいです。

 

音読

新型コロナウイルス騒動が収まったら2年前に受けて落ちた試験を受け直そうかなと考えています。

良い線は行っていたと思いますが、偏差値判定だったのでB判定で落ちました。

時事問題となると疎いので、次は看護師の友人にアドバイスを貰いつつ厚労省のサイトを参考にします。

 

2年前はまだ独身で、何となく30歳が迫っていることに焦って「やる気無かったらやらないから今勉強したい気持ちを大事にしよう」と簿記や秘書検定の勉強をしました。

 

秘書検定は2級は合格しました。

簿記は3級を2回受けて9点足らずで落ちてます😒

次こそと焦りますが、今は持ってる資格に関連する民間資格の勉強に集中します😒

 

勉強。べんきょう。ベンキョウ。benkyou。study

 

多分人生で最大に苦手なものです。

 

苦手な勉強はノートをまとめることです。

 

高校生の頃は、ノートに綺麗にまとめなくては先生に怒られると勘違いをして無駄なことばかりしていました。

 

学生時代は「要は覚えたらええんやろ?じゃあ教科書にそのページの要点をデカデカと書くじょ」と教科書に殴り書きに落書きやりたい放題でした。

ただ、ノートをまとめるのが苦手だと気がついたのはつい最近です。

Instagramで流れてくる勉強垢の投稿はびっしりとまとめられたものが多くて「あっ!ムリっ!(吐き気)」となって頭に電球が浮かびました。

 

そうか、私はノートで勉強できるタイプでは無いのかもしれないと。

 

そういう訳で勉強は音読を中心に行うことにしました。

勉強部屋の隣に子供が寝ているのでたまに「クックッ~~~(泣)」と寝ぼけ泣きが聞こえてきます。うっ。

勉強机の移動の検討が必要です。

 

でも綺麗に書かれた勉強ノートは憧れです。素敵。

生まれ変わったらあんな風に書けるくらい落ち着きのある人になれたら…。

 

ノート自体は好きなので色々買ってしまいます。

家計簿支出簿一言日記育児日記は紙のノートを使ってます。

 

らくれん

馴染みがある乳業メーカーについて思い出していました。

 

らくれん、毎日牛乳、ひまわり乳業、森永乳業、四国明治…あれ思ったより少ないですね🤔

 

らくれんは「らくれんコーヒー」を小学5年生の田植え体験の際に農家の方のご好意で頂きました。暑い中での作業だったのでとても美味しかったです。

 

毎日牛乳は給食に出ていました。

米飯給食とパン給食が半々くらいの時代でしたが、パンの時は牛乳は一緒に飲んで、米飯の時は食べ終えて片付けをしてからゆっくり牛乳を飲んでいました。

そのせいか「牛乳は米飯給食に合わない」という意見を聞いても「後から飲めば良いだろ小1の私でさえ1回酷い目を見て学習したのにププッ」と思っています。

 

給食の牛乳は教室に運んできてから飲むまでにまあまあ時間がかかってるはずなのに、キンキンとまではいきませんが美味しく冷えていました。温かったら飲めませんね。

 

たまにスーパーで毎日牛乳を見かけると懐かしくてしげしげと見つめてしまいます。

 

保育園の時は3歳までテトラパック牛乳を飲んでいました。4歳になると瓶牛乳で提供されていました。

3歳の時は4歳クラスが飲んでる瓶牛乳を飲んでみたくて「良いなあ」と空の牛乳瓶を見ていました。

ただこれは牛乳が飲みたいというより、瓶が氷に見えて美味しそうだったからだと思います。

3歳になる年の4月に弟が産まれましたが、病院で撮影した写真にはバッチリ冷蔵庫の氷を漁って食べてる私の姿が写っています。

頬が氷でパンパンです。

 

高校生の時は一日中氷を食べていたので母親に氷食症ではと言われたりしました。

あまりにも食べすぎるので頭皮に良くないよと言われてようやく食べるのを控えた記憶があります。

母親は美容師なので経験で感じたことを言ってくれたのかなと。

短大の先生も売店で買い物をする時に私がアイス買いたいと言ったら「アイスはね…んー頭皮に良くないからやめとくわあ」と言っていました。

何が影響するのかまた調べてみたいです。

 

ひまわり乳業(高知)は就職活動の時に見かけて美味しそうだなあと思っていました。

その後スーパーでひまわりコーヒーを見かけて買って飲んでました。

高知系のスーパーに置いてあって、ひまわりコーヒーと共にリープルという謎の乳酸菌飲料も置いてありました。

 

リープルもあっさりしていますが、森永のマミーに比べると癖もなくごくごく飲めます。あーでもちょっと甘いかな。若い頃はガバガバ飲んでました。

先月生協のカタログに載っていたので注文しました。おいしい。

リープルでゼラチンゼリーを作って固まらなかったりしました。一時期仕事の研究と称してかんてんやゼラチンゼリーを作りまくってたことがあります。乳酸菌入ってるんだしそりゃ固まらんだろう。

 

森永乳業は宅配でカルダスを取っていたので飲まされていましたが、口に合わず毎朝絶叫しながら飲んでいました。

飲みたくないものを飲まされる時は絶叫します。27際の時も風邪をひいて母親が「ほら!ドリンクの葛根湯だよ!飲みなさい!」と口に入れようとするのを必死で抵抗しましたが飲まされて「あがががが」と絶叫ました。

昨年の妊娠中の悪阻の際にも歯医者でマウスピースを作るための型取りで絶叫して、歯科衛生士さんに「赤ちゃんがびっくりしてるわね💦」と心配されました。あががが~~~。

 

四国明治は特に思い出はありませんが、お菓子を作る時の生クリームは

明治 北海道 十勝 純乳脂 https://www.meiji.co.jp/smartphone/dairies/cream/tokachi-fresh/

こちらを使用しています。

スーパーの試食で勧められて以来こればかり使っています。

ガトーショコラを作る際にはこれが無いと始まらない。

とセレブぶった事を書きましたが、スーパーの見切り品コーナーで買ったホイップクリームの素で昨日は抹茶寒天を作りました。

 

ガラスタッパーを買ったのでティラミスも作りたいです。

 

また牛乳や乳業メーカーの思い出を思い出したら書きます。